落陽

曼珠沙華

ひよ/落陽 > 陽光の国ウェンディアにも、等しく夜は訪れるものだ。花祭りで賑わう広場をよそに、白く、袖の大きく垂れた独特の外套のフードまでをかぶり、およそどのような装いか見当が付かぬ程度に身を扮したわたしは、ひとりで歩きつつ、手にした短冊に、手慣れた様子で筆を繰り、文字を認めていた。 肩から下げた革の鞄からは赤い花弁がいくつか溢れ、ややふっくらと膨らんでいる。 遠く人々の踊り明かすような、陽気な声々が僅かに耳に入るけれど、わたしはそれを特に気にすることもなく、ただわたしのやりたかったことをやるために、人気のない道をひとりで歩いている。時折すれ違うひともいなくはないが、皆揃ってわたしのことは気にしない。まつりごとだから、自分のことで精一杯、楽しむことで精一杯なのかもしれない。 ……シラチハヤから聞いた話だ。この花祭りという王国の催事においては、花束を贈る風習があるという。恥ずかしい話、田舎の出であるわたしは、そんなことを知ってすらいなかった。けれど、わたしは心なし、嬉しかった。   (4/4 02:26:13)
ひよ/落陽 > 機会が巡ってきた。わたしも、花を贈りたい人がいる。今でこそ、『贈りたい人がいた』と、そう言うべきかもしれないけれど。仕事があったといえば理由になるだろうか。本人の威信を傷つけぬためといえば、正当化されるだろうか。わからないけれど、確かにもう全ては遅く、過去に縋っているのだと言われたとしても、それでもわたしは、それをやり遂げなければならないと、そう、ある種の責任に似た圧力を感じた。だから、わたしは夜闇に紛れるようにこそこそと、しかし自己を主張する白い千早風の外套を纏って、王都にまで足を運んだのだから。 ──わたしは筆を止めて、顔を上げた。広場を離れ、いつの間にここまで歩いたのかは知らないが、目の前にあったのは、記憶では騎士団本部とされていた場所だ。今はそれ以上に遠くが騒がしく、やけに静かに感じるが、わたしにとってそれは好都合だった。 わたしは腰元まで提げた鞄へ手を入れ、紅と白を織り交ぜた彼岸花の花束を、そっと道端へ置く。そうしてその側に、先程に短歌を綴った短冊を添えて、片膝を突きしゃがみ込んで、フードを脱ぎ、手を合わせた。そうして瞳を閉じて、静かに、囁くような透明な声でそれを詠みあげた。   (4/4 02:26:44)
ひよ/落陽 > 『いづる陽のおなじ光にべに絹ときみらにもけふや春はたつらむ』   (4/4 02:26:59)
ひよ/落陽 > ──わたしは偶然にも生き延びている。数ヶ月前に、王国の騎士団長と刀を交えて以来、それこそ怒涛のような日々の連続だった。臥平や阿岸の東方戦線に幾度となく出陣し、この全てで勝利を収めてきた。“不沈落陽”と、そう持て囃されることも。一方必ずしも、常勝し、生き残ることが心地よいとは、わたしは思わない、思えないでいる。何人もわたしのすぐそばで傷つき、斃れるのを見たし、また、わたし自らの手で傷を負わせることもあった。わたしが治療に失敗したことで息絶えた兵もいた。そういった場合は決まっている。“不沈”なんて大層な二つ名で呼ばれるその傍ら、『大尉と出陣すると死ぬ』と、“死神”と呼ばれたことも、密かながらにある。 わたしの勝利の裏には誰かの敗北があるのだから、素直に喜べないのだ。白い千早の下、勲章の多くはその象徴だ。きっとわたしは、ろくな死に方をしない。すぐ後ろに、無数の兵がついているような心地すら、時折感じることがあるのだから。これが戦争の宿命と言うならば甘んじてそれを受けよう。   (4/4 02:27:22)
ひよ/落陽 > 栄誉と汚名の二つを背負うことがどれだけ苦しいことか、すなわち、誉れのすぐ側には耐え難いものが付き纏うということを、わたしはこの戦争でよく理解した。 “彼女”が死んだと知らされた時なんて、まさにそれでしかない。 いつか刀ではなく言葉を交わそうと、そう思っていた彼女にもまた、先に逝かれた。ウェンディアを象徴する太陽のように煌々と煌めき、鋭いつるぎのように折れない信念を抱いていた彼女のことだから、きっと己の全てを全うして逝けたのだろうと、そう思うけれど、それでもやっぱり、やりきれない。わるいことをしてしまって、数日、忘れてしまうけれど、ふとした拍子に思い出してしまう、あの感じにひどく似ていた。……そんな、ひょっと出の罪悪感から、彼女に花を手向けにきたのだ。   (4/4 02:27:33)
ひよ/落陽 > 「──きっとウェンディア人の“貴殿”には、およそ意味の通じないものだろうがね。なに、これは罪滅ぼしでもなんでも無い、ただの自己満足だ。こうすることでわたしが救われる気がして、そうして、貴殿らもまた報われる気がするのだよ。身勝手なものだろうが、どうか許したまえよ。……それではね、ヘスティア公」 そう語るわたしの言葉は、果たして届いたのかどうか知る由もないけれど、ふっと、肩の荷が下りたような、そんな気がした。 わたしは目を開き、立ち上がると、膝についた土埃をそっと払って、フードを被り直す。そうして置かれた花束を背に、懐から新たな短冊を取り出せば、するすると筆を走らせた。 「──まだ、贈らねばならない人が“大勢”いますからね」 (「曼珠沙華」〆)   (4/4 02:27:50)