篠&誌洲

死の水-発症-

マリア/篠 > (しんと静まり返った深夜二時の事だった。こんな夜に孤独や不安を感じるのは初めての事ではない。身体の不調やバイオリズムが精神に影響し、理由もなく眠れない夜なんて誰にでもある事だ。月が狂わすなんて人もいる。だけど、静寂を『痛い』と感じたのは、篠の人生において初めての事だった。疎ましげに寝返りを打つと、耳を劈くような無音が、キーン…と共鳴する金属のような幻聴に変わる。そのうちに、かちかちと響く時計の音が早巻きで不安感を煽り、耳鳴りは心の臓のどく、どく、とした音と共に気味の悪いずれたリズムを打ち鳴らしていた。)   (3/3 02:29:07)
マリア/篠 > 「……やだ、やだ……怖じかよ……」(自分の声を頼りに色のある現実を取り戻そうと呟くも、生温い息が喉を撫でくり回しながらずるりと這い出る感覚がいっそう不安だった。”怖い”だなんて言うんじゃなかった。自ら発したその魔術に、手足を絡め取られたような気がして両手を組むと、指先の感覚が鈍く、服や寝具と一体化しているかのような錯覚を覚える。これは自分の手だろうか?足だろうか?自分自身の身体だろうか?……毛や爪に感じる血の通わない無神経が、先端から徐々に身体の奥へと侵食してくるかのような麻痺。篠ははっと飛び起きて、自らの身体を抱きしめた。私は居る、ここに居る。爪を背中に立てるも、痛みをあまり感じなかった。)   (3/3 02:29:14)
マリア/篠 > 「寝らんな(寝なきゃ)、眠らんな……寝ろごたっど、寝らんな、寝らんな……」(強烈な不安は、まだ夜のせいだと思っていた。寝てしまえさえすれば、朝になればきっと何事もなく……眠らなきゃ、眠らなきゃと壊れたレコードのように口にして、眠るにはどうすればよいか、死ねば眠れるのではないかと徐々に発想がおかしくなっていっている事にも気づかなかった。)   (3/3 02:29:20)
マリア/篠 > 【〽ねんねころいち 竹馬よいち……】(寝台の上に蹲り、さめざめと涙を流していた。)【竹をたばねて 船に積むゥー 船に積んだら どこまで行くや】(頭を支配し始めた短調の子守唄の旋律は、よくそれを歌ってくれた父親の声ではなかった。)【賽の河原の橋の下 橋の下には怖い蛇がござる 怖い蛇やげな うそじゃげな……】(震えた女の声で、「怖い」「怖い」と繰り返される。この歌が、今はひどく恐ろしかった。)【来ては泣き来ては泣き わしの身やかてどこで立つ どこで立つ……】(歌に嗚咽が混じり、それでも篠は─────)【   (3/3 02:29:35)
マリア/篠 > 【ねんねしてくれ 寝た子はかわい 起きて泣く子は 面憎い 面憎い……】(その旋律を口ずさむ事を、やめられなかった。)「……っげほ……っ、う」(喉がはりついたように乾き、痰のひとつも出ない。震えた声は徐々に枯れてゆく。)「【……竹にもたれて ねんねしゃれ ねんねしゃれ エー】……」(父に会いたくてたまらなくて、今すぐ守山に帰りたくて、えぐ、えぐ、としゃくりあげながら、篠はゆっくりと身体を起こした。涙が布団に染みを作っているのを目にした瞬間、何かとても恐ろしいものを見たかのように、瞳孔が開いて細かく揺れた。)「………や……あぁ……」(両手で頭を抱え、寝台から転がり落ちるようにしてあとじさる。冷たい空気を、大きく吸い込んだ。)「……いやああああああああああああああッッッ!!!!」(水が─────おそろしい水が、自分を見ていたような気がした。篠は逃げ惑うように扉を破り、夜のじしまに向かって駆け出した。)   (3/3 02:29:51)


蕨/誌洲 > (磨りたての墨を一面にぶち撒けたかのようなのっぺりとした黒い空に、すっかり昇り切った更待月が煌々と輝いている。疾うに立春を過ぎたとは言え、帝都榮郷の夜半はまだ冷える。屋外であればより言を俟たないだろう。誌洲は徐々に体温を奪っていく春寒の中、僅かに闇と眼鏡とを曇らせる吐息と共に、決して軽快ではないどころか草臥れた足取りで軍運営の茅屋である自身の棲家へと向かっていた。──まるで三年前の再来だ。軍人でさえそう言い交わしているのだから、衆庶であれば尚の事だろう。誌洲もまた、紛れもなく実感としてそういった印象を抱いていた。自身を始め、発症していない巫覡は至る所へ駆り出されるまさに東奔西走を体現した日々。当時もてんてこ舞いだったが、今もまた息つく暇もないといった現状で、寝台で数時間の睡眠を取る為だけに塒へ帰ることすらままならない。それでも一度お休みになられた方がいいですよなどという周囲の強い勧めを受けては、すっかり皺の寄った羽織を着替えがてら、有難い助言に聞き従う他ないように思えた。結局こんな刻限になってしまった上、どうせ払暁の頃には、暖まった褥との別れを一入辛く感じる羽目になるとしても。)   (3/4 00:49:35)
蕨/誌洲 > 「…………」(ふと視界の端に朧気な影が過った気がして、疲労の色が濃く滲む瞳だけでそれを追う。次第に輪郭が浮き彫りになっていく形象は、それが人であること、風采からして女であること、恐らくはそこに実在するという事実を物語っていた。腰辺りまで伸ばされた長髪を夜陰に溶け込ませながら蹌踉と彷徨うその姿は如何にも幽霊を彷彿とさせるが、生憎その類と遭遇した前例がないという経験則上その可能性は考慮出来ない。よしんば本物だったとして、然るべき反応を示すような気力も、言われる文句に付き合う程の余裕も残されていなかった。)   (3/4 00:49:40)
蕨/誌洲 > 「……おい、アンタ……」(生きた人間であるならば、不審者か酔っ払いか、はたまた夢遊病患者か──時節柄、もっと現実的な線があることには既に食傷気味だ。やや掠れた呼び声はその耳に届いたのか、その判断すら下せない程ささやかに覗かせたその横顔と、つい先日墓場で妙な邂逅を果たしたついでに快癒を宣告したばかりの女兵とを紐付けるまでに、幾許かの時間を要した。最早その字を口に出すことに躊躇いはなかったが、それに先んじて酒気が漂ってこないかが気に掛かる。時間帯にしろ格好にしろ、詮ずるまでもなくその全てが散策を楽しむに相応しいとは思えなかった。一呼吸置いて嗅ぎ取るものがなさそうだと結論付けると、ようやく確かめるように呟かれた彼女の名が晩冬の夜気を震わせる。)「……篠。篠だよな、……何してんだ」   (3/4 00:49:45)


マリア/篠 > (瞳は何度も擦りあげたせいで、赤く充血し腫れ上がっている。濡れた布団から逃れても、涙を流す己から逃れる事は出来なかったのだ。篠は走り疲れ、それでもまだ、早巻きの音の反響と遠近感の狂った景色から逃げようと、足をとぼとぼと動かした。小さな足音すらも焦燥感を煽って、もう嫌じゃ、もう嫌じゃと泣きじゃくるのにも疲れた。どこか声のするところに行きたかった。落ち着いた声のするところに。自分を現実に引き戻すような、『大丈夫』の魔術はもう自分じゃかけられそうにないから。乳を求めて顔を左右に彷徨わせる赤子のように、ふるふる、ふるふると血眼で景色を追った。視界の端に人影が見えた気がしたが、判断力の鈍った頭でそれを見逃す。視界外から声をかけられた時、改めてそちらを向いた。)「せん、せ……」   (3/4 16:25:43)
マリア/篠 > (草臥れた表情に、いつもと違う服装に気づく余裕もなく、篠はただ目の前に立つ巫子に、その存在に縋り付きたかった。この世界に自分ひとりしか居なくなってしまったのではないかと錯覚する程の強烈な不安感の中、ただ他人が立っているというだけで依存心が掻き立てられて、その場に力なくへたり込んだ。ほっとしたようにと言うにはあまりにも甘えた、単なる駄々にも成り下がれないものであったろうが、それでも、自分自身を律する事はもはや考えにすらない。)「……うう、ううぅっ、せんせ、しじませんせい」(しゃくりあげるようにして喉を震わせた。枯れきった声が縋り付いた。)「『快癒』ち言うてください、もう大丈夫じゃち言うてください、私を解放したもんせ。寝れなって、どげんかなってしまいそうなんじゃ!酒も嫌なんじゃ!寝れるなら首を締めてくれてんよかど、気を失わせてください、私をどうにかしてください、先生巫子じゃろ、なあっ……」   (3/4 16:25:52)
マリア/篠 > (いつもは小綺麗に束ねた髪をかき乱して、浴衣の裾が乱れるのもいとわずに蹲った。掌にひやりとした夜露の感覚を覚えると、ひいっと声を上げて飛び起き、手を伸ばして誌洲の羽織の袂を引っ張った。)「うわああああああああああっ!!!!どけゆてん水があっ!おじかど、助けて、助けて助けて助けて、ひいいいい、いやああああああ!!!!」(人の着物で手を何度も拭いて、夜露に濡れた地面から逃れようと力を委ねて立ち上がる。涙が顎からぽたりと垂れると、誌洲の懐のあたりに、錯乱したようにぐりぐり顔を押し付けて拭おうとした。『いや、いや、いや!』と反射的に飛び出る喘ぎは、布の中でくぐもった。)   (3/4 16:25:59)


蕨/誌洲 > (果たして救いようのない飲んだくれとどちらがましだったのだろうか。干潟と化して久しいであろう咽喉から絞り出される膠のように粘ついた嗄声が誌洲を絡め取ろうとする。不眠と観念奔逸、それらに起因する多弁即ち会話心迫──醜悪なまでに発露した狂気は、最後に鼠色の世界で目にした彼女の鄙びた印象を置き去りにして恫喝染みた懇願で塗り替えてしまったようだった。過日、確かに告げた言葉の些かな魔術を渇望する篠を俯瞰しながら、誌洲は溜息の一つすら零せずにいる。──最早、治療者と患者としての縁は切れたものとばかり思っていた。その方が良かった。誰かが癒えても、また別の誰かが病めるものだ。それが不可視の因果か神の思し召しか、はたまた怪異の悪戯なのかは知ったことではないが、さながら縷々とした輪番のようなものである筈だ。にも拘らずある種の理のようなそれを、こうして踏み拉くのはさぞかし痛快なんだろう。──これも極度の疲弊の為か、思考の奔流を止められずにいた誌洲を強引に現実へと引き戻したのは、やはり再び一介の患者へと身を沈めた不憫な女だった。)   (3/4 23:10:48)
蕨/誌洲 > 「うっ……」(袂を手繰られることによって仄かに漏らされた呻き声は、篠の絶叫によって丸ごと掻き消される。静まり返った深更の兵舎に漂う残響の中、幾度となく皺立った自分の羽織でその手から水気を拭い去ろうとする彼女に、嘗ての差し出した手巾を遠慮した自制と慎みの面影は微塵も垣間見ることが出来ない。撓垂れ掛かると言うには余りにも必死で力任せな振る舞いに、殆ど呆然と佇立していたに過ぎない誌洲の身体はふらりと揺らめく。篠の肩を両の手で押さえながら、尻餅をつかずにその場に腰を据えるので精一杯だった。)「……泣きてぇのはこっちの方だぞ、オイ……」(恐らくは耳に入らない、聞こえても理解しようともしないであろう独り言が滴り落ちれば、ともすれば暈けそうになる視界の拡散を堰き止めようときつく瞼を閉ざした。『私をどうにかしてください』などと縋り付かれて胸元に女の圧力を感じているのに、こんなにも御免蒙りたいことがあっていいものか。それが蓄積した疲労と憔悴の為か、相手が患者だからなのかなんて今は心の底からどうでもいい。出来ることもやるべきことも、ただ一つだけだ。)   (3/4 23:10:52)
蕨/誌洲 > (そう闇に塞がれたままの己を鼓舞したのは、矜持と呼べる程立派な代物ではなくとも、只管に根差した自覚だった。掴んだ肩を落ち着かせるように軽く叩きながら、薄らと唇に隙間を作る。既に誌洲の中にあるのは彼女へ掛ける言葉ではなく、神への哀訴のみだった。冴え返った空気で肺を満たすと、文字の粒を噛み締めるようにして魔術を紡ぎ出す。)「────活る澪よ、請ふ僕の言を聽き給へ。息ざる潦よ、求む吾一の願を黜くる勿れ。水甚大に地に瀰漫りければ苦き種蔽はれたり、即ち地に潟れたる水の再び聚る能はざるが如し。濶き溪河の汀優りて如何に諍い懼るるとも、視よ今漲ぎる湍流の壓倒を。灑ぎ滌ぎ潤澤の潔むるは彌遠長し、而して逆ふ者濟り盡せじ。是を以て讃詠とす────」(囁く程密かに、それでいて継ぎ目なく織り成された魔術の成否を確かめる微力すら今は湧き上がってこない。誌洲は俯いたまま、まだ心の中で祈り続けていた。)   (3/4 23:10:57)


マリア/篠 > (薄く開けられた誌洲の唇から溜り落ちた倦怠感は、やはり今の篠を相手にしては単なる傍白にしかならないようだった。わめく仇波は風の有無などお構いなしに、浅瀬で騒ぎ立てては甲斐もなく洲を飲み込む。水への恐怖に溺れながら藻掻く事、それ自体がもはや、篠に残された唯一の意志だった。不意に肩に与えられた律動にははっとすることもなく、泣き腫らし掻き毟った事で赤くなった瞳を蕩けさせて、瞼の裏に父の幻影を見る。寝かしつけてくれるんじゃろうか。そう息を細く吐き出し、無遠慮に目の前の胸板へ顔の重みを委ねたのも束の間、頭上から降り注ぐ声は子守唄などと言う乳母日傘とは少し違ったものだった。『イクル、ミオ、ヨ』……文字を音にして聞けば、その言葉の意味すら理解できない状況であっても直感的にその抽象が浮かぶ。正しいか正しくないかに関わらず、篠の逆上せ切った頭に思考が流れ込む。至極乱暴に言えば、それが魔術師としての才能というものかもしれない。篠の───あるいは、誌洲の。)   (3/6 19:23:45)
マリア/篠 > 「……みお……」(畑の畝のように、あるいは大蛇の這った轍のように、果無く続く水脈。瞼の裏で父にいだかれて眠っていた嬰児が、父の手を離れ竹の揺り籠に乗せられる。)「……とと……いや……」(『イコワザル、ニワタズミ、ヨ』……揺り籠の船はその場から動かず、流される事もない。けれど水脈を堰き止める事もなく、流れを底に感じ始めた。『……ミズ、ハナハダ、オオイニ、チニ、ハビコリ』……底に感じていたものが、ぴちゃり、ぴちゃりと飛沫を上げて籠を揺らそうとした。そのまま賽の河原へ、賽の河原の橋の下へ連れてゆかれるのではないかという漠然とした恐怖に、嬰児は声をあげてぐずり出す。まるで、いつのまにか顔を真っ青にして息を止めて声も出せない篠の変わりに泣いているかのように。『〽 ハシノ シタニハ コワイ 蛇ガ ゴザル』『ヒロキ、タニガワノ、ミギワ……』『〽コワイ 蛇ヤゲナ』)   (3/6 19:23:54)
マリア/篠 > 「……っ……は、…………」(息を吐く事を忘れたまま喉を鳴らして、がたがたと震える手が誌洲の服の裾を握りしめた。ぎゅっと目を瞑れば、嬰児は命の限りに泣き叫んでいた。『……ミヨ、イマ、ミナギル、タンリュウノ、アットウヲ』──────籠目の揺籃が動いた。遠く霞んでゆく父が笑っていた。『────良か良か、子供は泣いたほうが良かど。転んで病んで、散々泣けば強うなっど。』籠は流れ、とうとう父の姿が見えなくなったところで、泣く事しかできなかったはずの籠の中の嬰児はいつのまにか身体を起こせるようになっている事に気づく。籠の中に立ち、大河を見渡した。その果てに居たのは賽の河原の大蛇ではなく、見覚えのある巫子の姿で。無秩序ながらもお伽噺のような幻覚の世界にあまりにも似つかわしくない仏頂面を認めれば、一瞬にして現世と幽世が交錯する。『是を以て讃詠とす。』──────稚児だったものは堅苦しい詰め襟を着て、大人の身体には小さすぎる籠から勢いよく転落した。ばっしゃーんと音を立て、水柱が上がる。)   (3/6 19:24:02)
マリア/篠 > 「ひゃああああああああああああ!!!!??冷たかっ………て、あれ……」(腰が抜け、ずるずると誌洲に凭れていた手を離してへたり込む。)「……せんせい……?」(まだ冴え渡ったとまではいい難い朦朧とした意識の中で、これだけははっきりしていた。自分は、幽世に連れて行かれそうになっていたのだ。背筋の凍る思いこそすれど、もう水への恐怖はすっかりなくなっていた。あちらで溺れそうになったのだ、抗う事のできない大河を目にしたのだ。今更雀の涙など恐るるに足りなかった。────免疫療法の歴史は古く、”荒療治”と呼ばれあえて毒を飲ませることもある。毒を以って毒を制すと言うか、偶然か意図的にかは解らないが、誌洲の興した魔術はそういったものとして、水をもって水を制したようだ。)   (3/6 19:24:11)
マリア/篠 > 「……眠……い……」(ぷつりと緊張の糸が切れ、篠はその場にふらりと倒れ込んだ。──────────起きたや、なんち言おうか。まずは、お礼をゆわなんいけんか。……あの世で見たもんを、先生は信じんじゃろか。私は一寸法師んごつ大きっなって、川を渡って、そいで、春姫は先生やった。先生、打ち出の小槌、もう振りやんなね。むくむく育つたぁ筍だけで充分じゃ。)   (3/6 19:24:17)


蕨/誌洲 > (──寒い。視覚も聴覚もまるで機能を果たそうとしない今、皮膚感覚だけが誌洲の眠りを妨げる。胎児のように身を縮こまらせるだけでは体温の放散を抑制するに充分とは言えないようで、殆ど無意識のまま手元にある布を手繰り寄せようとした。鉛を綴り合せたような瞼を押し開く程の気概は露聊かも持ち合わせておらず、ただ乱雑に弄る。冷え切った末端が、不意にさらりとした柔らかいものに触れた。構うものか。何だっていい、暖を取って眠れるなら。そのまま何某かを抱き寄せようとして、それが思いの外重量を持っており容易には搦め捕れないことに気が付く。僅かに軋む喉の奥深くでだけ唸りながら、やっとのことで鉛錘を引き離し糸一本分だけ赤い瞳を覗かせる。九分九厘瞼の裏側に覆われた視界では、当然の帰結として靄がかってよく見えない。思い切り眉を顰めながら、既に随分偏っていた眼鏡を額辺りまでずり上げ、暫くの間目頭を揉んだ。)   (3/7 20:12:54)
蕨/誌洲 > (やたらと重く感じられた瞼はどうやら眠気が訳柄の全てではなかったらしく、物理的に乾いた涙で睫毛が張り付いていた。それが感情の昂りに由来するものだったのか、生理的な角膜保護の為のものであったかは覚えがない。ともかく慎重に剥がして平常通りの視野を奪回した後、今度は明瞭な輪郭を確保する為に眼鏡を定位置へと戻す。遂に復旧した従来の眼界で捉えたのは、ざんばら髪の女だった。)「……、……どういう状況?」(声帯の疲弊を押してまで漏らしたくぐもった呟き、即ち素朴な疑問は、到底潤滑には処理出来ない視覚情報を前に停頓する自らの思考を働かせる為の魔術に相違なかった。言葉の魔力の幇助を受けて左脳が慌ただしく記憶の獣道を辿り始めるが、何度反復的になぞっても、呪文を詠唱した所でぷつりと足跡が途切れている。いや、それすらも夢だったような気がしないでもない。)   (3/7 20:13:01)
蕨/誌洲 > (それでもこの、路傍で惰眠を貪る女が篠だったことまでは辛うじて把握してから、ようやく彼女の面差しを確かめる。目元こそ幾度となく繰り返されたであろう摩擦で赤く染め上げられてしまっているが、寝顔としては安らかなものだった。それもその筈で、こいつ、俺の羽織を剥ぎ取ってやがる。誰ぞのせいで薄汚え羽織を。──恐らく、治療は成功したのだろう。微かに愁眉を開きながらも、こんな場所で、状況で、再び草枕に身を横たえるのを躊躇せずにはいられない程度には、誌洲の理性は回復していた。かと言って、すぐさま起立して兵舎の私室へ向かい、顔にだけでも冷水を浴びて服の一切を着替えて……などという想像するだけでも意欲が削がれるような草臥れる行動に移る気にもなれない。ただ、しばらく、休みたい。墨で塗り潰した空の東の端が、曙光に洗われて白く清くなっていくのを、誌洲は茫洋と見晴るかしていた。)   (3/7 20:13:17)