火津彌
海へ至る道マリア/火津彌 > (灰色に立ち込めた霧のような雪空を障子の丸窓から仰ぎ、火津彌は呼吸に白い息を乗せた。北風が追憶を連れて吹き抜ける。こんな日は、顔の火傷がじくじくと傷んだ。――『……おい、誌洲。お前が消毒に来い言うたやろ。なんで寝てんねん、はよせえ』――現役時代、そう言ってよく夜中に叩き起こしたものだった。奴はぶつくさ言いながらも仕事はきっちりやってくれたし、上官だからと僕にうっとおしい媚びを売る事もなかった。――『顔の傷、治りそうか?……出来れば支障がない程度に残したい』そう告げた時も、奴は特に驚きもせず淡々と経過を説明し、最後には好きにしろと言っていたっけ。そんな男だから、どうも馬が合ったのかもしれない。――寒さにぶるっと肩を震わせ、両手の指をこすり合わせて意識を現実に戻した。障子を閉めて振り返れば、赤い髪の王国人の女が畳の上に座っている。誌洲が連れてきた客人で――驚くべきことに、王国の騎士団長なのだそうだ。)「……あー、茶ぁでも飲むか?」 (1/30 19:02:47)
マリア/火津彌 > (さも思いつきのように発しておきながら、囲炉裏は湯気を出して茶を点てる準備をしていた。火津彌はのろのろと近寄って、手際よく茶を点てる。目が見えないらしいと聞き及んではいるものの、火津彌がせわしなく動いている間中この娘がずうっと黙っているのもそのせいなのだろうか。誌洲め、久しぶりに会ったと思ったらなんとも難解なものをよこしやがって。顔を合わせた時の『お前、肥ったな』なんて軽口もどうでも良くなる心地だった。――『中将の話を聞かせてやれ、か……』心の中でそう一人ごちる。昔の自分であれば騎士団長と聞いただけでも、どう料理して弄くり回してやれば自分が有利に、優位になれるかと思案が留まらなかったであろうし、その上で恐らくは何もかも引っ掻き回しておおごとにしていたのだろうと想像に易い。そんな自分を変えたのもやはり、他ならぬ中将なのだな、などとやすやすと感傷に陥ってしまうところが、今と昔ではっきりと違う所だ。) (1/30 19:02:56)
マリア/火津彌 > 「……誌洲に言われたからには話し相手くらいにはなってやれるが……別に僕は巫子やないからな。あまり期待はしないでくれ。このところの戦争の話も耳に届いとるしやな……お宅、ずいぶん派手にやってくれてるようやな。」(火津彌の言葉を受けても、騎士団長の娘は押し黙っていた。――それもそうか、いきなり”戦争”などと核心を突くような事を言ってしまえば、居心地も悪かろう。売り言葉に買い言葉とばかりに激高しないだけマシなのかもしれない。熱い茶を一口すすり、脚を崩して、火津彌は続く言葉を探した。)「……僕が何故お前を殺そうとしないか気になるか?」(きっと、だんまりで居られるままよりは興味を惹く事のできる話題を持ちかけてやったほうが良いだろう。火津彌の狙い通りその娘は、返事の変わりに淀んだ瞳をこちらに向ける。)「……そんなら………」(躊躇を想わせる長い沈黙の後、火津彌は小さな声でまるで独り言のように、話し始めたのだった。)「やっぱり中将のことを、話さなあかんなあ。」 (1/30 19:03:06)
マリア/火津彌 > (雪のしんしんと降り積もる音すら聞こえてきそうな静寂が場を支配した。ふい、と丸窓のほうを見る。閉めたはずの障子が少し空いていて、その細長い額縁の中をはらはらと散る桜のような白い雪の花が彩っていた。)「……尊華帝国軍中将・咲夜。香々夜家の当主にして、天下無双に匹敵する名将やった。」(ぽつりぽつりと、娘の反応を見ながら遅々と進んでゆくその武勇伝の一部始終。その時自分がどう思っていたか、彼に対する反骨心までも物語のスパイスにして、火津彌は語って聞かせたのだった。)「……まあ、そういう訳で、僕はあのお人を裏切れんのよ。……王国贔屓やったしなァ、今こんな事になっていると知ったら、やはり黙っては居ないんと違うかな。」(半ば自分語りの独り言になりつつあった英雄譚を聞き届け、ようやく娘が重い唇を開こうとした。その息遣いに、なんやちゃんと聞いとったんかと茶化す準備は出来ていたが。『……今はいらっしゃらないのですね。さぞかし華々しい退役だったのでしょうね』と、その言葉を聴けばすぐにそれを引っ込め、火津彌は「いや」と続けた。) (1/30 19:03:40)
マリア/火津彌 > 「今どこにいらっしゃるかも解らん。……生きているか、死んでいるかもな。……なあ、お前がこのまま帝國を攻め続けるなら、僕としても気が気やない。中将がおらんかったら今すぐ首を絞めて殺してたかもわからんで。……せやけど、今の話を聞いて何か思うところは無いか?魔術は何も、力任せの侵略だけを意味するものとちゃうやろ。」(頭をぽりぽりとかき、眼精疲労に目をぎゅっと瞑り改めて瞠目する。どうもむずがゆい。中将のようにはいかないものだ。)「……領土を取り返したい気持ちはわかるが、なんとか折り合いをつけられん事は無いと想わんか?戦争よりよっぽど修羅の道かもしれん。やが、我が軍の中将はそれを選んだんや。」 (1/30 19:04:24)
マリア/火津彌 > (自分で言っておきながら、綺麗事と反吐が出そうだった。それでも穏健派を気取ってみせる理由は、そう立派なものではない。妻のおかげで家には居場所を見いだせる上、軍は中将不在。今更武功にも興味がなく、端的に言えば腑抜けているのだ。今の生活と尊華の未来を天秤にかけて、より卑怯な道を選ぶのに、中将への忠誠心はうってつけの言い訳だったとも言える。貫けないのならば何をやっても駄目だとどこか捨て鉢だった。――娘は淡々とした口調で『ええもちろん、元帥にもご恩がありますし。血が流れないのならそれにこしたことはないですよ。』と言ったが……果たしてそれが本音かどうかははかりかねるところ。否、本音な訳がないけれど、それを突っ込んだところで自分に何ができるわけでもない。長い思案の末に出た言葉は、かつての自分を慰めるようなお為ごかしだったのだろう。)「元帥に……治療を受けたんだったか、悔しいわなあ……。」 (1/30 19:04:34)
マリア/火津彌 > (彼女の思考をトレースしようと試みる中で、火津彌は嘗ての仇敵、オウガとの因縁の日々を追憶していた。今は第一線から退いた身なれど、あの赫怒、気が狂いそうなほどの執念、悔しさが――ただのまやかしだったとは思いたくない自分も残っている。こんな感情は、手放してしまったほうが楽なのだろう。必死に藻掻いた日々を想起すれば今でも心が痛む。戦っても辛い、戦わなくても辛かった。そうして自分はこの英雄譚から降り、ただの名もなき中年に成り下がることを選んだのだ。戦火はいつ榮郷に来るかもわからないのに、今でも身を呈して戦っている竜灯や糸依のなんと強い事か。――下っ端ばかりが、いつも血を流して……はて、役職とは、自らが追い求めた地位の栄光とは、一体何だったのだろうと考えざるを得なかった。そんな自分が中将を語る事の恥知らずさなど、考えるあまりに感傷的になっていく。ふと娘のほうを向くと、彼女は今までにない程切なげな表情で唇を噛んでいた。) (1/30 19:04:55)
マリア/火津彌 > 「……領土を数多く所有する帝國の、高見を決め込んだお情けだと思うかもしれないな。しかし……僕も好戦派として少しは鳴らした男でな。帝國軍にとっても目の上の瘤だったかもしれないくらいには、な。……現役の時に、お前のような者が居ればさぞかし……何や、お互い良い死に場所を求めあえたかもしれないと思うわ。ああ、嘗ての因縁の男――万騎長なら、『戦友』とかなんとか宣ったかもしれん。はは、そういうところが、虫酸が走る程憎々しかったわ。」(娘は肯定も否定もせず、頭をまっすぐにして背筋を正したままぼろぼろと大粒の涙を零した。自分の言葉がそれほど響いたとも思えないが、今何も言えない事もまた悔しいのだろうと勝手に推し量った。)「……ま、今はただのおっさんやからな。なんの説得力もない事くらい、承知しとるわ。……だが、僕は、『だからお前は貫け』とは言えへん。はっきり言おう、帝國を攻められたら困る。無意味な事は解っていようが、戦争をやめてくれと言うしかないな。」 (1/30 19:05:32)
マリア/火津彌 > (この娘は何を考えているのだろう。涙は嗚咽に変わって、彼女は口元を抑えていた。その目は火津彌など見てはいなかった。どうせまた調子に乗って喋りすぎて、感情を逆なでしたといったところか。本当に何もかも空回りする自分の性質が呪わしい。)「……やはり、したいか?……戦争。」(娘は―――娘はやはり、肯定も否定もせず。ただぽつりと、『あなたみたいにはなりたくない』と言った。火津彌は、苦笑した。)「……はははは……。」(皮肉のひとつも返してやりたかったが、苦笑は痛い所を突かれた事への証左だった。それから数秒間、気まずい沈黙が流れる。――まいったな、誌洲め……。心中で世話になった巫子を詰った後、火津彌は沈黙に耐えかね、兎にも角にも彼女を解放することにした。)「しばらく泊まっていったらどうや、と言いたいところなんやがな。捕虜の身を僕の一存でどうこう出来んと思うわ。……また来てもええぞ。」 (1/30 19:05:44)
マリア/火津彌 > (娘はあっさっりと、すぐに首を横に振る。最後に火津彌に向けて、こう言った。『もう来ません。……でも、咲夜中将なる人には会ってみたいと思いました。……私、王国を探してみます。』火津彌は一瞬驚いたそぶりを見せてから、膝をぽんと打って奥へ引っ込む。またすぐに戻ってきた時には、手に封筒と、紙と万年筆が握られていた。)「……王国を探す、か。間者としてか?それともやはり、お前の居場所は王国という訳か。恐らく……後者やろ?はっ、あまり尊華人をなめるなよ、元帥にも誌洲にもお見通しやったと思うで。」(封筒を机の上に置き、話しながら紙に何かを書きつける。)「…帰ったお前が、帝國に良い働きをもたらしてくれる事を信じて……これを渡しておこうと思う。……まだ戦うようなら尊華勢力を上げてつぶすがな。ほれ」(まだ濡れてつやつやと光るインクに、ふっと息を吹きかけて。書付と封筒を重ねて彼女に手渡した。) (1/30 19:05:53)
マリア/火津彌 > 「探すなら万騎長が先やろ、お前は王国人なんやから。それに、奴は恐らく中将捜索の力になるはずや。見つかったらな、これ渡しといてくれ。もう持ってんのも鬱陶しいと思ってたとこやねん。せいせいするわ」(書付には、こう書かれていた。―――『中将の行方は帝國中を探した。王国にもいないなら 海かもしれない』)〆【海へ至る道】 (1/30 19:05:59)