落陽

ひとり参り

ひよ/落陽> 時は夕暮れ、陽の落ちかけた帝都は斜陽に彩られ、橙色、いや、宛ら黄金色の都とでもいえるような姿を見せていた。より人通りの多い中心部から、適当な細道に入り、南東へ向かって枝分かれするそれを進んでいれば、閑静な地区へと辿り着くのだが、比較的整備などされず、随所に木々のそのまま生やされた地区にも、ここ数年、新しくひとつの神社が建立されている。千景神社のように大きなものではなく、もっと慎ましやかで、小ぢんまりとしており、施設としても本殿、拝殿、直会殿、手水舎のあるばかりである。また、あえて土地の外周に生えていた背の高い木々はそのままに放置してあるから、正面から石畳の参道を通り、“神籬神社”と記された鳥居を潜ってみれば、帝都に居りながらも、森の中密かに佇む神社へ迷い込んだような、恰も狐に化かされたような心地になるという。 場所が場所であるし、また、ここ数年で突如として建造されたものであるといった理由から、“あそこは彼岸に繋がっている”、“迷い込めば狐に化かされ戻れない”などといった俗世的な噂が、微風程度に瀰漫するほどであり、参拝者という参拝者は極めて少ない。   (1/4 11:39:20)
ひよ/落陽> そんな韜晦の藪奥に在り、管理者が不明瞭である神籬神社であるが、その名の関する通り、ここ数年で外交官として頭角を現し、鶯遷した大尉官、落陽の管理するところであった。普段であれば本部基地にある大尉官執務室と寮舎を行き来する日々を送っている彼女ではあるが、一方で休暇などを取った際には、本部基地から程遠いこの四二番地を訪れ、人が来ないために滅多に使われない直会殿を居所に、衣食住全てを自らの手で賄った生活を送るのだという。また、重要な作戦などに対する出征前などに、自ら賽銭を投げ、参拝しては八百万のかみがみの内のひとつに語りかけるようになったのは、士官学校入学以来の習慣であった。 つい先日、執務室に二人の兵卒がやって来ては、遠回しではあるが臥平、阿岸奪還作戦の決行を進言して来た。帝都の危機にも直結するであろう由々しき事態であったがゆえ、彼女自身も憂慮していたが、腰の重い上層部に懊悩としていたところである。   (1/4 11:39:48)
ひよ/落陽> 作戦提案書を送りつけたはよいが、帰ってきた文は言葉が濁されており、最早有事であるというのに何という情けない有様かと、金輪際独断で作戦を決行しようぞ、余は大尉官であるぞと、そうすら思い始めていた頃であったため、彼らの覚悟を耳にしたのはとてもよい起爆剤であったといえる。こうして臥平、阿岸に対し、ひとりの将校と二人の兵卒による奪還作戦が展開されることとなったわけだ。臥平には、以前に王国の騎士団長を撃退した落陽大尉が、自ら兵を率い赴くという。またそれには、同じく騎士団長に重傷を負わせた経験のある竜灯も同行するというのだから、王国に対する圧力は十分である。……しかし一方、単身阿岸へ向かうと決めた糸依は、彼の地に尊華の旗を立てるまで戻らないのだという。正に決死の覚悟である。それ自体一向に構わないのだが、落陽が気になって仕方がないのは竜灯と糸依の交際関係にある。  (1/4 11:42:11)
ひよ/落陽> 両名とも、士気は高く、そう容易く敗走するような人物ではないということを落陽は既に知っていたものの、万一の事があり、どちらか片方が先に逝って、もう片方が残されては、そう思うと心配で、気が気でならないようである。──それでもなお、本人たちの前では私情を軍務に挟まない一将校として、両名を鼓舞激励する他ないのだから、彼女とて思っていることの吐き出す場所くらい、必要になるのだろう。──それで夕暮れ時に、自らの神社を訪れては、賽銭を投げ入れそう本音で全てを語るのである。ここであれば、帝都の血統主義者は薄汚いと寄ってこないであろうし、ましてや農夫、車夫などが紛れ込んだとしても、或いは落陽自体を認知していない可能性だってある。であるからこそ彼女は、分社の建立にこの土地を選んだのだ。軍装、大礼服は宛ら別荘のような直会殿に脱ぎ置き、故郷の伝統的な、白を基調に赤を交えた神凪装束を身に纏い、拝殿の前で手を合わせながら、独特のイントネーションの、更に方言交じりの口調で、静かに語りかけているのだった。  (1/4 11:40:35)
ひよ/落陽> 「──かみさま、お聞きになられてるべか。私さ、臥平、攻めることになりました。もともとは、かみさま方の御土地だったんだども、王国、奪ってっちゃったから、取り返しにさ行くんだ」 臥平陥落は彼女も予想を裏切られたようであり、竜灯が騎士団長に手傷を負わせたという報を聞き、嬉々としたものの、直ぐに百騎長相手に負傷し敗走したというもので、どうしたものかと、上層への報告と本人の保護、謹慎処分と化けの皮を被せた療養命令などを与えるためあちこちを奔走していた。それが功を奏したのか、今では彼も軍職に復帰している。更に今回の臥平奪還作戦においては共同で任務を進めるのだというのだから、騎士団長を追いやった彼がいるのは心強い、しかし、本音を言えば、糸依と共に阿岸へ向かって欲しいところではある。一方で上層が、一定の功績(というのも、他地方における他国前線基地の陥落の指揮)が認めるまで阿岸への侵攻は許可できないというため、止むを得ず、臥平へ同行してもらうようであった。   (1/4 11:43:14)
ひよ/落陽> 嬉しいような心苦しいような、臥平のひとつ下では彼の愛人がヨズア人を相手に単騎で死闘を繰り広げようとしているのだから、表面上いくら取り繕おうが、内心はもう一杯一杯であったようだ。 「竜灯さんっていう、つよい兵が私んところ、ついてくるんだけどね。私のことはげれっぱで大丈夫だから、んだら、竜灯さんのこと、がっぱり守ってあげてくださいね。あの人に何かあったら、私さ、糸依さんに合わせる顔、無くなるっしょ。……ぁ゛、もちろん糸依さんのことも、ちゃんと守ってくださいな。私まだ、たくらんけには、なりたくないんだ」 そうやって祠に語りかける白無垢色の彼女は、普段の黒に紫の軍服姿の、凛々しいともまた違う、そんな威厳に満ち満ちた姿ではなく、むしろあどけなさに塗れ、素朴でありながら、どこか八百万の神々の恩寵を賜っているようであって、近寄りやすく、近寄りがたいような、そういった独特の雰囲気を纏っている。   (1/4 11:43:30)
ひよ/落陽> 軍人ではなく、ひとりの人間として。普段でこそ、笑顔を見せてはならぬ、と自戒している彼女が、そういった枷を全て解き放ち、ありのままの落陽として語る祈りの言の葉は、風が梢を揺らす音に紛れ、ほとんど彼女と、かみさまにしか、聞こえていない。「──どうか、お護りください」  〈ひとり参り〉〆   (1/4 11:44:04)